新宿のROCK BAR/CLUB、Rock In Rolling StoneのRESIDENT DJによる、日々のパーティー紹介や最近のオススメ音源、はたまた極私的なつぶやきまで、何でもありのブログ。
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スタッフ シンゴさんより
 10/26(日)に新宿Rolling Stoneで行われたロックパーティ「PARALYZE」に寄せられた金曜日ストーンスタッフ シンゴさんの「私とストーンの出会い」をテーマに書かれた文章がとても良かったのでここに転載します。是非読んでみて下さい。

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「PARALYZE」にお越しの皆様こんにちは。ROLLING STONEのスタッフのSHINGOです。
いつもカウンターでお酒を作ってるヤツです。

俺とこの店との出会いは1989年、もう25年以上前になります。
当時上京したての田舎者だった俺はフロムエーの求人広告を見て初めてSTONEのお店の存在を知りました。確かストーンズ大好き人間集まれ!!みたいな見出しが付いた一番小さな広告でした。
当時髪を伸ばしバンドマンスタイルだった俺はバイトも見つからずほとんど知り合いもいない東京でひとりぼっちでした。
この仕事はなんとしてもゲットしたいと思い長い髪も後ろで束ねパーカーの中に隠しいかにも真面目そうに見える出で立ちでお店の面接に臨みました。
面接時間は21:00・・・。さすがに遅いなと思いながらちゃんと5分前に到着。
当時のスタッフに促され社長を待つ事に。しかし1時間2時間待てど社長は来ない・・その代わりお店のスタッフからどうせバーテンやるならカクテルの作り方も覚えなきゃいけないから、メニューの上から順番に作って飲んでみたら良いじゃんと言われ10杯以上飲んで完全に酔っぱらったところにやっと社長が登場。
完全に普通の人間じゃねーなこの人は・・と一目で見抜きました(笑)
その時点で面接は3時間遅れ、既に24:00を過ぎてもう電車で帰れなくなってました。
着くや否や面接かと思うとカウンター内の冷蔵庫の前のせっまーいきったねースペースに連れ込まれ、履歴書を見る事もせず『おめーキャベツの千切り出来るか?』とただその一言・・はいと答えると・・『あっそうじゃ来週から来てちょうだい!』
3時間以上待たされてたった15秒で終わりです。
なんつー適当な店なんだろうと若いながら思ったものです。

あれから25年半・・上京してから20代も30代も40代半ばまで金曜の深夜にずっとこの店で働きました。
3丁目の閉店から5丁目の開店を経て今日に至るまで25年以上ずっと!!

STONEは俺にとって東京そのものです。
ここで音楽に対する情熱を養い今の仕事に繋げる事が出来ました。人生のパートナーともこの店で出会いました。この店が俺の人生のすべてを与えてくれたと言っても過言ではありません。

本当は社長が本物の伝説になるまでお店のスタッフとして続けて行けたら嬉しかったのですが、この度STONEは42年の歴史にピリオドを打つ事になりました。
今のご時世こんなお店は他にありません。
ROCKが熱く狂気に満ちていた80年代90年代の生き残りの天然記念物です。いや重要文化財かな。

STONEはなくなってしまいますが「PARALYZE」のようなROCKイベントはこれからもずっとその火を絶やさないように頑張って頂きたいと心から願わずにはいられません。

時代は移り変わってもROCKの魂は変わる事なく皆さんを熱くしてくれる事でしょう。
またいつかSTONEが再始動する事を祈りつつも、今は長い間お疲れ様でしたと感謝の気持ちでお別れしましょう。

LAST RUNとなる10/31,11/1,11/2は3日間ともお店にいます。
特に最終日の11/2のDAY TIMEの14:00~19:00は30年前のSTONEのレジデントDJが中心にフロアを熱くしてくれます。
皆さんの熱い魂でSTONEに最期の華を咲かせてあげてください。
今までのご愛顧心から感謝申し上げます。

SHINGO

Posted by : rs-dj | - | 16:29 | comments(0) | - | -
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